遠く、遠く。
蝉の声が聞こえる。

























糸 遊

お題「夏・アクア
























俺の家の周りには、田んぼか山しかない超が付く程の田舎だった。
きちんと整備されていない道路には、都会ではド根性と呼ばれそうな雑草が生えまくり
おっちゃんかおばちゃん達の覚束ない原付か軽トラしか走ってる所を見かけない。
そういえばたまに、猪か何かが横断してるけど
綺麗な車が通っているのは、あんまり見た事が無い。
そんな道路に、ちらほらと車が通るのを見かけるようになる八月。
ジワジワと蝉が煩く鳴き喚き、湿気と共に思わずあー、と声の出る暑さを演出している。
俺は毎度の如く窓際のちゃぶ台という名の付いた低い机の上に頬を付け、そんな蝉の声と
風鈴の音が混じったのを聞きながら、麦茶の入ったコップの中の氷が溶けていく様を
ただぼんやりと眺めていた。
ただ、ただ。ぼんやりと。

どうしてか、
夏というのは、いつもぼんやりしているような気がする。
夢の中のように景色が妙にぼやけて残っているのだ。

俺は顔を上げて、首を右へ左へと一回ずつ傾けてはコップを手に取った。

「暑い」

呪文のように唱えては、麦茶を一気に喉の奥へと流し込む。
そして本日何度目か解らない、あー、を零して後ろにひっくり返り畳の上に大の字に寝転がった。

「暇だ。暇すぎる・・」

夏休み、というのにわくわくしていたのは十代前半までだ。
高校2年となると、いい加減要領よく宿題をすぱっと終わらせて
後は一日あーあー言って過ごしてしまう、というお決まりの日々である。
する事がゲームか読書くらいしか特に無い田舎者の俺はそんなもん。
友達or彼女とオサレに・・カラオケとか?、何てのは夢のまた夢である。

「キリー」

夏場はどうも昼寝というのは気が進まないが、やる事もないし寝るか、と
眼を閉じかけた瞬間、母親の声が向こうの部屋から聞こえてきた。
一音だけの返事を返すと、足音が近くで響いた。

「ちょっと山神様の所に行ってきてくれない?ほらこれ持って。」

母親の声が上から降ってくる、用件は神社に行けと。
あまり乗り気じゃない。だってこの太陽が一番高く登る時間に、外になんて。

「ヤダ。俺ね、こう見えて忙しいし」

断る適当な理由を述べては、起き上がりコップしか置いていない机に向かう。
しまった。こんな事ならノートでも並べておけば良かったかな。

「さっき暇ーって言ってたじゃない。
それに!奉納をヤダ、だなんてバチが当たるわよ!光栄だと思いなさい!」

背中に軽く蹴りを入れられ、うぐ、と小さく唸る。
田舎独特の風習かもしれない。年に一回お盆近くに、神様の所に
それぞれの家から米だの野菜だのをお供えして云々・・。
別に土地の神様を敬ってこういった行いをする事は決して悪い事ではないし
律儀で偉いな、と思うわけだが
まだまだ青二才の俺としては面倒臭い訳で。

「・・・解ったよ、行けばいーんでしょー行けばー」

これ以上背中を蹴られるのも、母にぐちぐち言われるのも嫌なため
アッサリ折れてしまえば机に手をつき立ち上がる。
振り返るといつものエプロン姿の母が笑顔で、解ればよろしい、と手に持ったお盆を差し出した。
銀色のアルミホイルに包まれた何かが皿の上に乗っている。
香りからして多分、おにぎり。

「美味しそうだからって途中で食べちゃ駄目ですからね」

お盆を受け渡すときに妙な釘を刺され、はいはい、と面倒臭く思いつつ答える。
じゃいってらっしゃい、と肩を叩かれまた、はいはい行ってきます、と答えつつ
背中を丸めて玄関へと向かい、
脱ぎっぱなしでつま先があちこちに向いたサンダルを足先で手繰り寄せて履いた。
がらがらと音の鳴る横開きの戸を足で開けては、後ろに母親の気配を感じて
戸は閉めずに家を出て行った。
どうせ両手もふさがっているし。


他の住民達はみんな朝早くに奉納したのか、夜にでも行くつもりか
お盆を持って歩いているのは自分のみで。
すれ違う数人と、もうそんな時期か早いな、といったような短い会話をして
家から田んぼを三つほど越えた、山とも丘とも言い難いミニマム山、くらいの高さの山に辿り着き。
林とも森とも付かぬ木が周りに生えている坂道に、設置されたがたがたの階段を登っては
小学校の頃、良く友達と遊んだ神社へと向かう。
あの頃の友達は、中学までは一緒だったが高校はほとんどが別。
ある奴なんか寮に入り、ある奴なんか都会の親戚の家に単身赴任。
まあ、お盆も近付きそろそろ帰って来てる頃だろうけど。
明後日の夏祭りにでも会えるだろうか?

「そういやこの辺久々に来るなぁ」

正月に来たくらいで、それ以降はぱったりである。
神社がある山なだけに、誰かが木があまり伸びないようにとかって管理してはいるんだろう。
いつ来ても変わらないような気がする。
夏は特に。蝉が彼方此方で不協和音の大合唱である。
耳を塞ぎたくなるのも数秒で、すぐに慣れてしまう。
ようやく階段を上っては、やや色の剥げてきた赤色の鳥居が見え
夜に行くとちょっと怖いややガタが来ている社が見えてくる。
賽銭箱の向こうの扉はいつもは閉まっているのだが、今日は全開である。

「・・えーと、まずはこれを入れて・・」

賽銭箱の前まで来ると、お盆の上にのった五円玉三枚を賽銭箱に放り込んだ。
これは家族三人の分。
そして、黒っぽくなった紐を引っ張り鐘を鳴らしては、サンダルを脱いで
2,3段の階段を上り扉の向こうへ。
もう既に誰か来たのか、新しい榊を両脇に携えた小さな鳥居の前には
野菜やら果物やら、何か良く解らないものまで色々並んでいた。
その端に母親が握ったのであろうおにぎりを置いては、両手を合わせておいた。
アルミホイルを取ったが良いか迷ったが、まあいいか、と。

「任務完了・・さて、帰るか」

面倒臭いと思うのは行くまでで、来てしまえば何だ短かったと思う。
もう少し何かあっても良いじゃないか、と我が儘に思う。
帰ってまた同じような時間を過ごすのがなぁ、なんて。
くるりと踵を返し、階段を降りてサンダルを履く。
賽銭箱の横を通って鳥居に向かって歩く、という所で立ち止まった。
ふ、と何か。眼の端に白いものが映ったのだ。

「・・?」

誰か、子どもでも遊んでいるのだろうかとそちらに顔を向ける。
社の斜め横辺りに、水を溜めておく事が出来る石で出来たつくばいのようなものが置いてあり
あれは物心が付く頃から雨水しか溜まっていない事は知っていたので特に気にした事は無いのだが。
それの隣に、白い、浴衣のようなものを来た誰かが蹲っていた。
ひやりとしたのは一瞬だった。
だって今は、真っ昼間である。お日様の光だってサンサンと降り注いでいるし。
瞬きを数回して、勇気を持ってそちらに近付いて行く。

「・・えっと・・大丈夫、ですか?」

帰省で帰って来た誰かのお孫さんだろうか。
上から見ると、やや後ろ髪が長く歳は背格好からして同い年くらいであろうか。
よく見ると、白ではなく淡い黄色の浴衣を着ている。そして足には、黒い下駄。
やや身を屈めつつも声を掛ける、が相手の反応はイマイチ薄い。

「具合でも悪いんですか?」

心配になって同じようにしゃがみ込んでは、そっと肩に手を触れてみた。
ぴくり、と肩が揺れた。
自分で触れておきながらそれに驚き、つい手を引っ込めてしまった。
その数秒後、相手はゆっくりと顔を上げる。

「・・・・。」

睫毛を揺らし、相手は不安げに瞬きを繰り返していた。
白い肌に、真っ黒な瞳。長い睫毛、赤、というよりピンクに近い色の唇。
ぱっと見では女か男か解らない顔をしていた相手に、どう反応すれば良いか解らず
暫くお互いに見つめ合う事数秒。
耐えかねて口を開いたのは、向こうだった。

「・・すみません、心配を、かけましたか」

か細い声が零れた。
蝉の声に消されてしまいそうな。
それなのに、妙に透き通っていて良く耳に響くのだ。

「そう、ですね・・こんな所に蹲ってるから・・ビックリしちゃって」

もう少し違う事を言いたかったのだが、今の感想しか言えなかった。
相手は、すみません、ともう一度謝っては
ゆっくりと立ち上がった。途中ふらついだが、何とか立ち上がる。
次いで自分も立ち上がる。相手の方が、10p程背が低い為見下ろす形、見上げる形になる。

「あの、どっか具合悪いんですか?
ここド田舎だけど一応医者はいるので、俺良かったら連れて行きましょうか?」

親切を呟くと、相手は笑いもせずに眼を細めた。
緩く首を傾けては、いえ、と柔らかく断る。
なんだか今まで出会った事のない不思議な雰囲気の相手に、少したじたじしてしまう自分が居る。

「何処も悪くは無くて・・ただ、喉が渇いて、水の音を探していたの・・ですが」

相手はそう言うと、何時のか解らない雨水がうっすらと溜まった石を見下ろした。
同じように見下ろす。何か良く解らない葉っぱだの虫だのが浮いている。

「えーと・・この神社、水道通ってないんですよ」

自分が産まれる少し前までは、この大きめのつくばいにも水道が設置されていたハズだが
災害かなんかで水道管が潰れ、全部撤去してしまったらしい。
それまで工事も一切せず、今はこの神社を管理している人がバケツかなんかで運んでいるとか。
その労力を考えたら、工事をした方が良いような気もするが。
そんな事実を告げると、相手はうっすらと溜まった雨水を暫く見つめ
やがて此方を見上げた。
そうですか・・、とゆっくりと呟く相手。

「・・あの、田んぼ三つくらい超えた所に俺の家があるんですけど、良かったら来ませんか
麦茶か水か、サイダーか、飲みかけのオレンジジュースがあると思うので」

帰省している誰かのお孫さんなら、家に帰れば良いのだろうけど
水を探してこんな所まで、という事は遊んでいる内に家から離れてしまったのかも知れないし。
色々考えつつも誘ってみると、相手はきょとんとした顔をする。
その顔を見て、もしも相手が女の子だったらこれってナンパだろうか、と気付く。

「いや、その、もし帰った方が近いのなら、・・えっと・・」

ただ、放っておけないという事を伝えたかったのだが上手く舌が回らない。
ああっ俺今超変な奴じゃん、と焦るばかり。
しかし相手は、きょとんとした顔のまま小首を傾げた。

「サイダー?」


丹咲、という名前らしい。
読み方、たんざく。
なんとまあ、微妙に一ヶ月ほど遅かった名前である。
家につくまでに、性別は聞けなかったが、相手は石ころが転がった畦道を
下駄をカタカタ言わせながら自分の横を必死に付いてきた。
その姿を見て、単純にカワイイと思った。
家に帰ると母親は出掛けていた。買い物だろうか。
丹咲を家に上げては、麦茶とそれからさっきまで存在を知らなかったというサイダーを冷蔵庫から取り出し
客に出す用だと奥にしまってあったガラスのコップを取り出しては
自分のコップが乗ったままの机にその三点を置いた。
丹咲は座布団の上にきちんと正座し、注がれる麦茶を見つめていた。

「はい」

差し出したコップをゆっくりと受け取っては、丹咲はそれに口を付けた。
喉が渇いて、と言った相手は麦茶を少しずつ少しずつ口の中へと流していった。
自分は喉が渇くと、一気飲みをしてしまうが
相手はゆっくりと、噛み締めるように喉へと流していく。
やがてコップは空になり、机の上にそっと置かれる。

「・・美味しい」

ぽつりと小さく零し、相手はこちらをゆっくりと見上げ
やがて眼を細め、微笑んだ。
ありがとう、とお礼を言われどきりと心臓が高鳴った。
そんな、眼をジッと見つめながら美しく微笑まれてお礼を言われるだなんて今まで一度も無くて。
たじろぎながらもサイダーの入ったペットボトルの蓋を開けた。

「ど、どう致しましてっ・・ほら、これも」

空になったコップにサイダーを注ぎ入れる。
丹咲はそれをまたジッと見つめ、ペットボトルの蓋が閉まっても見続けていた。
空の色が映ったサイダー。
気泡がふわふわと、上へと上がっていく。

「・・美味しいよ?」

本当に初めて見たらしい。
サイダーを知らない人がいるだなんて、考えた事も無かった。
丹咲はおずおずとコップを持っては、先程よりもゆっくりと口へと持っていった。
やがて一口、こくりと喉を鳴らし、眉間に皺を寄せてはコップを見つめる。
そんなのを、机に肘を付きつつも眺めてしまっていた。
自分が当たり前と思っている事を、初めて体験する誰かを見るのは
なんだかちょっと、楽しいものである。
相手はまたもう一度コップに口を付け、サイダーを口の中へ流し込んだ。

「・・甘くて、パチパチする」

炭酸の事だろうか。炭酸も初めて呑んだのだろうか。
丹咲はそう呟き、また一口。

「美味しい?」

そう聞くと、相手はコップを傾けたままこちらを見て頷いた。
微かに微笑んでいる。
どうやら気に入ってくれたようだ。
ホッと一安心した。不味いと言われたらどうしようかと、ちょっと不安だったのだ。

「なんだか、花火みたい」

コップを離した丹咲は呟き、コップの側面に集まる気泡を上から見つめていた。
どうしてだか、その瞬間。
なんだか胸がきゅっと締め付けられて、不意に泣きそうになってしまった。
眼を逸らしたくなったけれど、何故か逸らせなくて。
唇を噛み締めたまま、丹咲の横顔を見つめる。
相手は、何者なんだろう。
何かを言おうと。口を開いた瞬間、ガラガラと慌ただしい戸の音に遮られてしまった。


母親は、俺が聞きたくても聞けない事を糸も簡単に聞いてしまった。
しかしその答えはどれも、曖昧なものだった。
遠く、遠くから来たという丹咲は夕ご飯の煮染めとご飯をちまちまと食べ
何も言わない丹咲に訳ありと見たらしい母親は、今日は遅いから泊まって行きなさい、と言った。
丹咲は、帰省している誰かのお孫さんだと思ったけど
本当は家出してきた、とか。
なんだか色々、人には言いにくい事情があるのかもしれない、と俺も思った。
丹咲はただ、好意に対しては素直にお礼を述べて素直に応じる。
性別をも曖昧にする相手に、やっぱり放っておけないという意識が高くなってきてしまっている。

「これ、俺の使って。ちょっとでかいかもしんないけど・・母ちゃんのぴらぴらよりマシだろ」

無難なデザインの自分のパジャマを選んでは、丹咲に差し出す。
思いっきりレースを派手に使ったパジャマを持って来た母親を横目に、そう言う。
丹咲は俺の方のパジャマを受け取ると、うん、と頷いた。

「もー絶対似合うのにぃ」

母親の言葉には、はいはい、と言いつつも母親の背中を押し部屋を出て行く。
去り際に、じゃ布団持ってくるから、と呟き戸を閉めた。
もし女子だったら、着替えシーンに居合わせられないし。

「こんなの持って来て・・、男だったらどーすんだよ」

小声で問い詰めると、母はきょとんとした顔をして、別に良いんじゃない似合うと思うし、と
答えになっていない答えを返した。
ああ駄目だ、と溜息。
仕方無く奥の部屋に行き、余っている普段はあまり使わない布団を引っ張り出してくるとしよう。


「キリの部屋は、涼しいね」

布団を引いている横で、丹咲はぽつりと零した。
そちらを見ると、ややがぶがぶのパジャマに身を包み扇風機に当たる丹咲の姿が。
そういえばいつの間にか、敬語じゃなくなっている。自分もだけど。
なんだか少し、仲良くなれた気がして嬉しい。
扇風機も初めてなのだろうか、と思いながらも、そうか?、と返す。

「私が居たところはね、もっと暑くて、冷たかったんだ」

丹咲はそ、っと扇風機から吹く風に向かって片手を差し出す。
暑くて、冷たい。矛盾している。

「・・どういう事?」

そう聞きながらも扇風機の首を回してやろうと近付いていく。
後ろのボタンを押すと、扇風機はゆっくりと回り始めた。

「躰で感じるのは、とても暑いのに・・心の中は空っぽで、冷たくて溜まらなくて
どうしたら良いか解らなくて、戸惑ってた」

やはり家庭環境か何かが悪いのだろうか。
何処か淋しげに丹咲は言葉をゆっくりと紡いでいく。
また胸が締め付けられるような気がして、今度はようやく目を逸らして扇風機を見つめた。

「でも。キリの部屋は・・キリの所は、涼しい。涼しくて、暖かい。」

丹咲は眼を細めて呟いた。
心底そう思っているように、丹咲の声は柔らかくて透き通っていて
とても綺麗に、耳に届く。
相手の声は細いのに、辺りの蝉の声も、扇風機の音も、何も寄せ付けなくて。
俺は思わず、丹咲の頭に手を伸ばした。

「・・・誰だって、暑すぎたり冷たすぎるのは嫌だよ。」

するりと指通りの良い髪を撫で、頭を撫で。
きょとんとこちらを見上げる丹咲をジッと見つめる。
泣きそうに、なりながら。

「居ればいい。涼しい所に、ずっと居ればいい」

今回は、上手く舌が回ったらしい。
丹咲は暫く驚いたように眼を見開いていたが、やがて小さく頷いた。
うん、と。
微笑んでは、くれなかったけど。
少し、泣きそうな声だったような気がする。
俺と同じような。
そんな。


でも私は帰らなくてはいけない、と丹咲は言った。
だから泣きそうだったのか、と俺は勝手に解釈して
それでも止める権利は俺には無くて。
だったらじゃあ、いつでも来て良いとくらいしか言えなくて。
丹咲はまた、うん、と頷いた。
淋しそうに頷くから。きっと、帰ったら帰ったきりなのかもしれないと
何処か不安になった。
帰ったら、帰ったきり。
もう、会えない。


「明日、夏祭りあるんだ。」

次の日の朝。
小学生が虫取りを始める時間帯。とりあえず丹咲を散歩に連れ出してみた。
何処も変わらない景色。そんな畦道を歩きながら、
いつ相手が帰ると言い出さないか不安だった俺は、ふと思い出した行事を言ってみた。

「夏祭り?」

並んで歩いていた丹咲は、こちらを見上げては
立ち止まった俺に合わせて立ち止まった。
母のTシャツと俺のジャージのボトムスを着て、下駄で歩く丹咲は
なんだか異様な姿である。
何となく、泣きそうになってしまった事が何度かある為
丹咲を凝視する事が出来ず腰に両手を置いては辺りを見渡しつつ、そう、と頷いた。

「まあ、こんな田舎のだしちっちゃい祭だけどさ・・花火あがるんだ」

その言葉に相手がどんな顔をしたか、見ていないから解らないが
丹咲は、花火、と口の中で言葉を繰り返した。
正直都会の大がかりな祭に比べては小学校のバザーみたいなノリで
しょぼい事この上ないかもしれないが、花火は毎年楽しみにしている。
丹咲も、サイダーの事を、花火みたい、と言っていて花火は知っているみたいだし。

「えっと・・だからさ・・帰るのなら、
・・どうせ帰っちゃうなら・・せめて明日の花火くらいさ」

また舌が回らず、しどろもどろになって
宙を彷徨っていた視線を、丹咲に戻す。
と、丹咲は眼を見開いてこちらを見上げていた。

「見たい!」

今まで聞いてきた中で一番大きな声で丹咲は叫んだ。
大きな声も出せたのか、というより今までで一番生き生きした表情の相手に驚いてしまった。
しかし、見たいと相手が言ってくれて、とても嬉しくて。
俺は笑顔を相手に向けた。

花火を見せてやりたい。
空に上がる、大きな花火を。
と、
単純に思っただけだ。


丹咲は、サイダーが気に入ったようで
コップの中の気泡を楽しそうに見つめていた。
飽きずに見つめる丹咲を、俺も飽きずに見つめて
どうにかしたいのに、どうすればいいか解らず困ってもいた。
相手がもしも、何か思い悩んでこんなド田舎まで来たのなら
自分は何かをしてあげたいのだけれど、と。
それでも何も言わない相手に、深く聞く事は出来なくて。

「ひゅー・・どーんっ」

コップを見つめながら、丹咲が呟いた。
今度は気泡が登ってく様を花火のようだと思ったのだろうか。
大きな花火を見せてやりたかった。
だけれどそれを見たら、相手は帰ってしまうだろうか。
俺は、帰って欲しく無いのか。
今まで感じた事の無い感情に、戸惑っていた。
ふ、と丹咲は顔を上げ俺の顔を見つめてきた。
心の中を読まれたのかとどきりとしたが、すぐに微笑んでみた。
相手はホッとしたように微笑み返してまたコップを見つめる。
蝉の声と扇風機の音に混じって
丹咲の声が、小さく響いた。


アクアブルーの空。蝉の声。風鈴の音。
こんなにも鮮明に映っているのに、
どうしてぼやけて残っていくのだろう。
丹咲は、小さく微笑む。
空の色を映したサイダーを見つめて。
綺麗だ、と。


次の日丹咲は、最初に着ていた淡い黄色の浴衣を着た。
母のTシャツより俺のジャージより、何よりやっぱりそれが似合っていた。
そんな姿が、なんだか涼しげで俺も押し入れで眠っている浴衣を出して来ようかとも思ったけど
結局面倒でいつもの、おしゃれよりも暑さを最大限に凌ぐため、を取った格好をして
丹咲を連れ、暗くなりつつある外へと出た。
結局丹咲には、何か気の利いた事を言ってやる事が出来なかった。
丹咲はそれでも別に良いとでもいうように、よく楽しそうに微笑んだのだけれど。

祭があるのは、町の中央にある広場。
家から行くと、田んぼを5つ程と川を越えた所にある。
畦道を何を話すでもなく二人で並んで歩く。

「あ、一番星」

突然、丹咲が隣で呟いた。
指を差すその先を見ると、まだ紫色っぽい空に白い星が小さく光っていた。
俺は丹咲を見下ろす。

「丹咲・・本当に、帰るのか・・?」

立ち止まって、呟いた。
ずっと居ればいいのにと思ったのは自分勝手だけれど。
丹咲が、淋しそうな顔をするから。

「・・うん」

丹咲はこちらを見ずに、頷いた。
解っていた事だけれど。
相手が、帰らなければ、と言ったのは一度だけだったが
それは凄く良く、解っていて。

「花火を見たら、帰るよ」

やはり淋しそうな顔をしてそう呟き、やがてこちらをゆっくりと見上げた。
俺の方が泣きそうな顔だったのかも知れない。
丹咲は小さく微笑んだ。

「もう、会えない・・のか?」

今まで怖くて聞けなかった事。
また来れば良い、と言って、うん、と返されても。
本当は、もう。会えないんじゃないかと。
帰ったら、帰ったきりだと。
何となく解っては居ても、相手から直接聞いた訳じゃないから、と。
まだ希望を持っていたのだけれど。
丹咲は、微笑んだまま小さく頷いた。

「うん。・・もう、会えない。」

呟いて、丹咲は下を向いた。
つい一昨日、偶然会っただけなのに、どうして悲しいんだろう。
俺は両手を握りしめて、何も言う事が出来なかった。

「キリ・・。・・淋しいって言ったら、変かな」

丹咲は自分の足元を見つめたまま、呟いた。
声が、少し震えている。

「俺は、悲しい」

淋しいのは、お別れで。きっといつかまた会えるという事で。
俺は、お別れでも、会えないのが悲しいのだ。
正直に伝えると、丹咲はこちらを見上げた。

「ありがとう」

眼にうっすらと、涙が溜まっていた。
俺もそうだったのかもしれない。
どうしてお礼何か言うんだとか、
お前は一体何処に帰るんだとか。
言いたかったのに。何かを言ったら泣きそうで、言えなかった。
言葉が足りないのは解ってるのに
これ以上何も要らない気もしたのだった。


小学校の運動場並みの広さの広場には、近所の住民がそれぞれ店を出しているという
本当にバザー程度の出店が並び、広場の一角にはブルーシートが引かれている。
他にも色々あると言ったのに丹咲は入り口のかき氷屋のブルーハワイを譲らず、
母から貰ったお小遣いでそれを手に入れ、満足気に食べ歩きしていた。
帰省で帰って来ていた同級生数人と、近所の人は丹咲を彼女かと冷やかしてきたけど
別に俺も丹咲もどうという事は無く、適当にやり過ごしていた。
花火は八時から。見せてやりたいと思うのと、リミットが迫ってきているのとで
俺は複雑な気持ちのまま、広場から少し離れた所へと丹咲を連れて移動し始めた。

「毎年俺が使ってる秘密の場所、花火良く見えるんだ」

みんなは広場で見るんだろうけど、俺はいつも広場の横の道を少し行くとある丘から見ていた。
意外と知られてない穴場である。
丘に付くと、草の上に座って、すっかり黒くなってしまった空を見上げる。
田舎の為か星は結構良く見えるんだけど。

「7時・・40分か、もう暫くだな」

腕時計を見ては呟く。
始まれ。始まるな。複雑、というよりぐちゃぐちゃになっている。

「・・キリ、本当にありがとう」

隣に三角座りしていた丹咲の声が聞こえ、そちらを見る。
え?、と零す。丹咲は真っ直ぐ空を見ていた。

「こんなに楽しいの、初めてだったから」

口元で微笑みながら、丹咲はそう言った。
こんなに楽しい、だなんて。もっと楽しい事なんかこの世には沢山溢れているのに。

「ずっと一人だった、暑くて、冷たくて、真っ暗な所で
誰にも会えず、誰とも話さず、淋しくて痛くて、苦しくて
そうやって産まれて、そうやって死んだ。」

その言葉が、脳に届くのに数秒かかった。
俺は丹咲を凝視した。
丹咲はこちらを見ると、淋しそうに眼を細めた。

「私は、この世界にはもう居ないんだ。
・・本当は、こんな姿でもない。」

耳を疑うような事を、相手は言った。
蝉と風の音に混じって、でもはっきりと。透き通った声が響く。
俺は眼を見開いた。
そうする事しか出来なかった。

「黙ってて、ごめんね。
キリも、キリのお母さんも優しくて、暖かかったから・・つい。
本当は私が死んでる事も、言いたく無かったけど
・・・キリが、悲しいって、言うから」

丹咲は喋っている内に声が震えてきて、やがて下を向いた。
そしてまた、ごめん、と謝る。
急にそんな事を言われて、頭が混乱しそうだったが
もう会えない、という言葉が響いて、妙に納得してしまった。

「・・なんで、謝るんだよ」

ようやく言えたのはそれだった。
自分も声が震えているのが解る。

「私は、人間じゃないから・・短い間しか生きていられなくて
その間に誰かに会わなくてはいけなかったのに・・誰に会えば良いか解らなくて
誰かが居るわけでも無くて、だから、誰かがいつか気付いてくれると思ってた。
私が此処に居るって、・・でもそんな事は無くて。
暗くて寂しい所でずっと・・・そうして・・いつしか息苦しくなってきて・・。」

丹咲は言葉を最後まで言えず、抱えた膝に頭を埋めた。
一人でずっと、暑くて、冷たい所に居た。
暗くて、淋しい所に。
丹咲の肩が震えていた。
俺は思わず丹咲を抱き寄せてしまった。

「思い出さなくて良い」

自分でも、何をやってるんだと思うけど。
でも今は、そうしてやる事しかできなくて
そんな事を呟くしかなくて。
丹咲は腕の中で震えていた。じわり、と肩が濡れた。

「・・・ごめんな、・・何も出来なくて」

本当にそうだった。
何かをしてやりたいと思いながらも俺は結局何も出来なかった。
だけれど丹咲は首を横に振った。

「・・キリは、私を見つけてくれた。いろんなことを教えてくれた。嬉しかったんだ。
凄く凄く、嬉しかった。」

涙声が、そんな事を言った。
丹咲を抱きしめながら、頬に涙が伝ったのを感じた。

「何だよ・・勉強以外だったらもっと色々教えてやれんのに」

笑いながら言うと、あはは、と笑われた。
その瞬間、大きな音がなった。
二人は同時にそちらを見る。
空に大きな、花火があがっていた。
キラキラと光る花火。赤、白、黄色、緑。
色とりどりに光る花火。
綺麗、だと。言わなくても解る事だった。

「私・・死ぬ前に、お願いをしたんだ。」

必死で願っていたんだ、と丹咲が呟いた。



「誰かに、会えますように。」

「誰かに、会えますように。」


「誰かに、会えますように・・。」



誰かに、会えたなら。
淋しくは無いかな。
悲しくは無いかな。
きっと暖かいね。
涼しくて、暖かいね。

淋しくなんか無いね。
悲しくなんか無いね。

きっと、明るいね。



花火は静かに終わった。
どれだけの時間が経ったが解らないが、俺にとってはとても長い間だったような気がする。
その間にもずっと俺は丹咲を抱きしめていた。
ずっとずっと、そうしてやりたかった。

「・・そしたら、キリに会えたよ」

ぽつり、と丹咲が呟いた。
うん、と俺は頷く。

「でも今は、一個だけ後悔してる。」

その言葉に、後悔?、と聞き返した。
俺じゃ不服だったのだろうか。

「キリに、会えますようにに
すればよかった。」


蝉の声。
風の音。

家に帰ったらさ。
母ちゃんがさ。
夕ご飯作ってるよ。

扇風機の音と
風鈴の音がするあの部屋で
またサイダーの入ったコップ見つめてさ
花火みたい、って微笑んでよ。
今日見た花火よりも
俺はそっちの花火の方が好きだな。
ひゅー、どーんって効果音付きの。
透き通った、丹咲の声のが。



暑くないか?丹咲
冷たくないか?

俺はここ三日ほど全然暑くなんて無かったのに。
突然また、あーあー言う日々が始まったよ。

淋しくないか?丹咲
俺は今、ちょっとだけ淋しいけど。

俺もお願いすれば良かったなって
今ちょっとだけ後悔してるよ。

でもな、でも。


「でもね」



「会えたから、いっか」


きっとそれは、ぼんやりと残ったりはしない。
夏の暑さに、歪んで残ったりはしない。



遠く遠く、蝉の声が聞こえる。
それに混じって、
透き通った声が、響いた。


End





「#cee4ae」
お題「夏・夏虫色

明日が僕にくれたのは
ポイントを集めてやっと貰えるものじゃなくて
賭をして二分の一で貰えるものじゃなくて
代償さえ払えば確実に手に入るものでもなくて

いつも世界が正常に 清純に
回っているとは限らなくて
少し あなたが遠く見えても
そのままだとも限らない
少し あなたが近付いても
手を伸ばせない 僕もいる

明日が僕に伝えたかったのは
何だろう
苗字の同じあの子が例えば
悲しい事が無ければと言えば
悲しい事が無ければ 私は笑えていないと言えば

僕は心は道化になんかなれないと
叫んでやれるかもしれない

今日の僕は何をあげようか
風吹く木陰の下で寝そべり
バラの香りを遠くに感じながら
今日は泣いたりしないと言おうか?

今日の僕は例えばあなたが
遠くで手を振っていたとしても
近くで歌を唄っていたとしても
今日は何も言わないでおこうか

明日が僕に言ったのは
真っ暗な中で一人で居ても
誰とも会わずに息絶えても
目的なんかが果たせずにいても

僕が 何もしてあげられなくても

僕らの隣に降り立った虫は
名前の知らない夏虫
そんな緑色の上で羽を広げ
ねえ 君は何処へ行けるの?
ねえ 一体何処に行くの?

あんな高い空はやがて
上を見上げていればやがて
降ってくる
降ってくる

明日が僕にくれたもののように
降ってくる
降ってくる

羽ばたく羽根も持てなくて
心が巣窟なままの僕達の元に
降ってくる

何処にも行けない僕達の為に
何処かへ行こうともしない僕の為に
今日は泣いたりしないから
両手を広げる

その夏虫色の上で

そらいろものがたり
お題「夏・天色


脳細胞の腐蝕が進む
高温多湿の部屋

タグ閉じのされていない
締まりの悪い僕らのリンク

本業は そう!
キラキラビーチの下敷きになる事

本当は So!
ギラギラ心臓を焼け焦がしていて

天色 の 何処かに
君が成れなかったものが居る

そら色 の 何処かに
僕が慣れなかった行為が映る

やがて心配そうに夜が来ても
うだつの上がらない僕ら二人

次の日 高いとこ目掛けて
赤い風船飛ばそう


「だって 怖いんですもの!」


臆病者が巣喰う
暗がり寒がりの心

せーので勢い付けても
言い出せない感情

本心は そう
どれだけ回っても君に会いたいけど

本番は もう!
どうして空回り やる瀬ない気分だ

ソースが彼方に見える傾向
顔色の悪い僕らのTwinkle

天色 の 何処かに
君のいつかの夢が光って

そら色 の 何処かに
僕のいつもの夢が映っていて

やがて星を数えるのに飽きたとしても
止めようとしない僕ら二人

夏の暑さにやられちまったとか
言い張ってさ

やがてチャンスと共に
夜が消えても

脆弱な心情の僕ら二人
曖昧に擬態したまま

何となく手を繋いでみては
海に出掛けてみるとしようか

赤い風船飛ばしに


「また今宵 頑張りゃ良いのよ!」


あとがきという名の裁判所。

ふぎゃあ!どうも黒乃です!
えー・・今回誠に光栄な事にL'espoir様の「海色夏音」という企画に参加させて頂きました・・っ
テーマが「夏らしく!」・・とそして、お題の色を選んで・・という事で
私は「糸遊」と「#cee4ae」と「そらいろものがたり」の三作品を出させて頂きました。
こんな素敵な企画がほぼ初めてだったので(お誘いを受けたのも!やっほーうい!)
こんなんでいいものやらと思いつつドキドキでした・・orz

私の書く小説の舞台の大体が、冬or秋というのがほとんどでして
夏ものはあんまし書いた事が無かったので、いきなりそこで躓きました・・
なんででしょうね、冬の方が好きだからでしょうか?←
最初は書き掛け小説を完成させて出しちゃおうかというせこい事考えてましたが(本当せこいな!)
色々考える内に、最近書きたいなーと思ってた「田舎」と「神社」をテーマに
「糸遊」を書き始めました。
そしたら思ったよりもスラスラ書けまして、何だ私って結構夏もいけんじゃん!?みたいな(単純)
そして案の定また「切ねぇ・・」と泣きながら書きました。変態ですか?Yes!I am 変態!((
「糸遊」は陽炎という意味だそうです。最初はタイトル「カゲロウ」にしようと思ったけど
トラウマがあるので!(にっこり)
夏の想い出はぼやけて残る、っていうのは私の実体験でなんだか夏は夏特有の不可思議な事がいっぱいあるよね
みたいな感じの「陽炎」と「蜉蝣」を掛けたつもりです(Not.水嶋ヒロ様)
夏といえば儚い!というイメージが私の中であるので、実は丹咲は蜉蝣だったのだにしようと思ってたんだけど
・・まあ想像にお任せします・・!←
後はサイダー、蝉、その他諸々・・ですね。もう夏!っていうのを詰め込んだつもりです。
どうでしょうか・・・?;

続いて詩の方の「#cee4ae」ですが
これは「夏虫色」のカラーコードです。
夏虫色は、まあ平たく言えば薄い緑ですね。
その名前が最高ですね。なんすか夏虫色て!素晴らしすぎでしょ!(何
詩の内容はパッと思いついたのであんまり夏らしいワードは入れてませんが
私としては夏ってあんまり楽しくないので(少数派)
夏になるとこんな事ばっか考えてるヤツって感じで書きました(?)

そして、もう一作品!と言う事で「そらいろものがたり」!
もう夏嫌いなのが全面に押し出されているものばかりでしたので
ちょっとテンポ早めに、かついつもの通り怠情に・・って感じで書きました笑
背景に海とか砂浜とかと、何となく付かず離れずなカップルを思い浮かべて頂ければと思います。
最近の私の恋愛系の詩は、だりーって感じのが多めだなぁと自分で思います・・orz
別に疲れている訳では無いです。ていうか恋愛したい!好きな人募集!(?)

いやー。。もう本当に何というか楽しかったです!
他にも沢山の方が参加していらっしゃいまして、書いてる途中も
参加者様名簿を覗きに行っては、どんなの書いてらっしゃるんだろうとwktkしてました。
もうなんというかね、詩人・小説家の人がげんふぉ以外でほとんど交流無かったので
楽しみで仕方なくてですね!←
その中に加えて頂いて、本当に幸せでございます・・orz
では・・調子に乗ってアトガキ長く書いちゃいました!(本当に)
これから夏☆本番、夏は苦手ですがこの嬉しさを糧に乗り切っていきたいと思いますっ

2011.7 黒乃 桜

L'espoir様主催企画 『海色夏音』 に出させて頂いた作品です。